コードレス電話の開発経験を振り返る

コードレス電話開発プロジェクトに入れました。初めはOEM商品を他社等から導入してました。

 

私は入社してから数年は多機能電話の開発設計担当だったのですが、1986年コードレス電話の開発設計プロジェクトに入りました。コードレス電話はその当時まだ日本では自由化されていませんでしたが、1987年の10月にコードレス電話が自由化されることが決まり、それを目指してコードレス電話の開発をしていました。

その当時、日本のコードレス電話の自由化において、認可される方式は2つありました。1つは微弱コードレス電話というもの。もう1つは小電力コードレス電話というものでした。

当時は松下通信工業情報通信事業部というところに居りましたが、この事業部には無線通信技術者が殆どいなくて、ノウハウが無かったので、微弱コードレス電話は、当時は松下グループの中でいわばライバルであった九州松下電器や、多摩川電機というところからOEM供給を受けました。一方小電力コードレス電話は、松下通信工業内の電波事業部に開発してもらいました。

私はまだ一担当者でしたので、小電力コードレス電話の開発にも微弱コードレス電話の開発にも担当者レベルとして関わり、OEM商品ですから、商品としてほぼ出来上がってから、通話品質の測定とか、信頼性試験とか、様々な事務処理などを行っていました。

オリジナル商品の開発でソフトウエア開発を担当しました

それと並行して、情報通信事業部としてオリジナルの商品を開発しようとして、色々苦労した上で、1988年の秋ごろ発売した商品がVE-W61という商品でした。私はそのコードレス電話の子機と親機のソフトウエア開発設計を担当していたのですが、商品出荷後、コードレス電話が全く動かなくなるという市場問題が生じました。

その後原因を調べている中で、問題を誘発したのは、無線の問題で、微弱コードレス電話自体数mしか飛ばない、一つの部屋で使うコードレス電話というような言い方をしていたのですが、実際には、1mくらいしか飛ばない場合がありました。それによってコードレス電話の子機と親機の通信が出来なくなり、さらに子機がまた親機の電波を探そうとしているときのソフトウエアに不具合があり(バグと言います)、それでコードレス電話の電池を入れ直さないと復帰しないという問題が起きました。

微弱コードレス電話のソフトウエア開発で不具合を出してしまいました

時効だから申し上げますが、間違いなく私のソフトウエア設計の不具合だと思います。しかし、この経験を通じて、無線通信は接続不安定になったときの処理に負荷がかかるので気を付けなければいけないということが頭に叩き込まれました。

さらに、1989年には、シャープから小電力方式のコードレス電話と留守番電話が組み合わさったCJ-A300というコードレス留守番電話が発売され、大ヒットになりました。それに対抗するコードレス留守番電話を松下通信工業からも発売しなければということで、1989年12月にKプロジェクトという特別プロジェクトが出来て、1990年4月に発売しました。約4か月で開発設計したのですが、3か月くらい100時間残業が毎月続くという長時間労働を行った上で、この商品が出来上がりました。確か1990年4月発売後、電波新聞という新聞の売り上げランキングで、コードレス留守番電話の分野において、松下通信工業のコードレス留守番電話がシャープを追い抜いて1位になったのが懐かしい嬉しい思い出です。この特別プロジェクトがうまくいったのはプロジェクトメンバーが同じ場所に集結して仕事をしたことだと思っています。

業界初の子機メロディ着信を実現しました

1990年には業界初の子機メロディ着信が出来るコードレス電話機を発売しました。子供用のおもちゃの鍵盤を使ってメロディを作り、それを実際には後輩に
プログラミングしてもらい、メロディ着信が実現できました。メロディは、モーツアルトのアイネクライネナハトムジークの冒頭のメロディにしました。
当時は、私たち技術者が商品企画も同時に行っており、実際に自分たちで考えた機能が商品にも搭載できるという実にやりがいのある仕事が出来ました。

しかし、このメロディ着信子機でまたソフトウエア不具合を出してしまいました

ただ残念ながらまた出荷直前に、子機がたまに着信しないときがあるという問題がみつかり、原因を調べたところ子機のソフトウエアの不具合でした。やはり、微弱コードレス電話のときと少し似ており、子機と親機の間の通信がうまくいかなくなったことがトリガとなって、そういう現象になることが分かったと記憶しています。その不具合は、ハードウエアを追加することで対応しました。当時は子機のソフトウエアはマスクROMといって、マイコンの工場において書き込まれてしまっていたので、もうソフトウエアは修正できなかったのです。ソフトウエアの不具合=バグはハードウエアで修正するといった時代でした。

微弱コードレス電話での不具合、この小電力コードレス電話での不具合の経験は自分の中では財産になっています。無線通信というのが有線通信に比べて、いかに
問題を誘発するかということについても、体に叩き込まれました。その後のPHS、WiFi、携帯電話の開発でも、これらの失敗経験が役立ったといえます。

PHSのプロジェクトに参加することになりました

1991年になって、小電力コードレス電話に代わって、第二世代コードレス電話という方式が今後出てくるということが分かり、松下通信工業の中に事業部横断のプロジェクトが出来つつありました。そのプロジェクトに加わりたいなと思っていたところ、確か1991年の夏くらいからそのプロジェクトに参加することが出来ました。

第二世代コードレス電話とか次世代コードレス電話といってたこの方式がその後、PHS(パーソナルハンディホンシステム)と呼ばれるようになりました。

この開発の思い出については、次回また記そうと思います。

 

コードレス電話時代の開発経験からの教訓
・無線通信で注意しなければいけない点を沢山経験したこと
・特別プロジェクトは同じ場所に集まって行うのが成功の秘訣

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  1. PHS(パーソナルハンディホンシステムの開発(前編)

  2. 初めてのブログです:1980年代の有線の電話機の開発設計を振り返って

  3. PHS(パーソナルハンディホンシステムの開発(後編)

  4. VoIPの開発プロジェクト

  5. PHSデータ通信カード開発の思い出

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