PHS(パーソナルハンディホンシステムの開発(後編)

PHS公衆サービススタート前の苦労談

1995年7月にPHSの公衆サービス=簡易型携帯電話としてのサービスが始まりました。その1か月くらい前に、東京・新橋において、サービスが始まる前の実用実験をしていました。松下通信工業も1995年7月1日からパルディオ01Pという機種を発売する予定になっていました。

しかしながら、実用実験において、子機を持って歩きながら通話をしていると、元の基地局から別の基地局に渡り歩いて通信が維持できるというハンドオーバーの機能がうまくいかず、通話が切れてしまうという問題が起こりました。

数日その問題の原因が分からずに、ついには、新橋の中華料理屋さんやお寿司屋さんの電源を借りて、PHSの子機の内部の動き=ソフトウエアの動きを調べて、ハンドオーバーが失敗する原因を調べましたが、原因が分かりませんでした。

確か6月20日くらいが実用実験の最終日で、実用実験終了1時間前くらいに原因がひらめきました。それはハンドオーバーが出来ない基地局というのがあり、
そこに対してハンドオーバーの処理をしていたことが分かりました。土壇場でやっと原因が分かりました。今振り返れば実験ばかりに頼ることなく、考察する時間があればもっと早く原因が分かったのではないかと反省しております。

それでも、この経験を通じて、無線通信とかのトラブルに置いては、必ず原因がある、その原因が分からない場合でも様々な実験をしたり、ほとんどはソフトウエアで動作が決まっているので、ソフトウエアのプログラムを確認することによって、原因が見つかるものだなというのを改めて体得することが出来ました。

PHSが飛ばないというクレーム多発。そこでホームアンテナ開発の要請がありました

1995年の秋には、ホームアンテナの開発プロジェクトが始まりました。その理由は、PHSの公衆サービスが始まった後、家の中の窓際近くでは通信できるものの家の真ん中あたりだと通信が失敗してしまうというクレームが沢山生じていました。

そこで、窓際に中継器のようなものを置いて、中継器からの電波をPHS子機が受けるようにすることで、家の真ん中とかでもPHSを使用出来るものを約3か月で開発しました。

出荷した後、クレームが起きて、事業者から呼ばれて徹夜で原因を究明したのも思い出になっています。

PHS海外進出に関する仕事をしました

1996年からは、日本のPHSを海外に広めるというプロジェクトと、PHSを応用して第三地域とかに電話線の代わりにPHSを使って電話を広めるという
ワイヤレスローカルループの仕事を行い、1996年~1999年はタイ、中国、フィリピン、米国と海外出張が急に増えました。

海外の会社の人たちと色々交流して仕事をしましたが、日本人との文化の違い、を色々と学びました。それでも元々好きだった英語で色々とコミュニケーションを
図れるのは、なかなか大変でしたが、非常に楽しかったです。

PHSが落ち着き、VoIPに関するプロジェクトに移りました

残念ながら1999年になり、上記ワイヤレスローカルループの仕事が殆どなくなり、知財関連の仕事に変わろうと思っていた矢先、逆に上司から別の仕事を命じられました。

それがVoIP(Voice Over IP)というプロジェクトでした。今ではほとんどのインターネットを使った会議通話やLINEやFacebookでのメッセンジャー
通話で、VoIPは殆ど当たり前のように使われている技術ですが、1999年当時は先端の技術でした。

その本拠地が北米であり、1999年9月に米国出張した後、なんと2000年から米国駐在して米国拠点の開発プロジェクトに携わることになりました。ということで、2000年1月から米国ニュージャージ州のパナソニックの研究所内にある開発センターでVoIP関連の開発を行うことになりました。

PHSプロジェクト後半の経験で得た教訓
・何か問題点があるということは、必ず原因がある。必ず原因は見つかる。
・海外の会社と仕事をする際は、現地の人とのコミュニケーションが重要

関連記事

  1. PHSデータ通信カード開発の思い出

  2. 初めてのブログです:1980年代の有線の電話機の開発設計を振り返って

  3. PHS(パーソナルハンディホンシステムの開発(前編)

  4. コードレス電話の開発経験を振り返る

  5. VoIPの開発プロジェクト

コメント

  • コメント (0)

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。